やおら日記

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運動嫌いだった学生時代を振り返る

 

今回の記事は、いかに木暮が運動嫌いだったかについて軽いトラウマも交えながら振り返りたいと思い、記事にしました。

これまで学生生活で体育の時間が嫌いだったという人は、おそらく共感してくれるような内容になっていると思います。

 

 

小学校の体育の時間

まず小学生だったころの木暮ですが喘息という持病があり、コンディションによっては軽い運動でも発作を起こすという重い方の喘息患者でした。そのため、運動会の予行練習で整列の練習をした際も、発作が起こってしまいすぐに早退、通院という日々が続いていました。

大袈裟ではなく、ほぼ毎週1回以上は病院で吸入器や点滴をされていました。

 

そんな状態だったので、まともに体育の授業を授けることができず、クラスのみんなからは「木暮さんはいつも体育休めていいな」や「こんなに毎回休んでるのおかしいよ」と言われたり…はたまた一番ショックだったのは、体調がよくマット運動の授業に参加しようとしたところ「喘息がうつるから他のマット使って」と言われたことでした。

子供というのは、時に正直すぎて心に刺さることを言うもんで、今となっては殆ど気にしていませんが、たま〜に思い出して悲しくなることがあります。

 

で!

 

そんなこんなで木暮は体育(運動)に触れることができず、小学校時代を過ごしていきます。

当時のかかりつけ医のすすめで、スイミングに通うこともありましたが、本格的な水泳選手を目指すにはほど遠く、あくまでも治療の一貫といった形で水泳教室に行っていました。

ちなみに、その水泳のおかげか小学校高学年頃になると、以前より発作の回数は格段に減っていました。

 

そのため、この頃の木暮は陸上の運動よりも水泳の方が好きで、体育の授業では厳しい運動が水泳教室に通うことで運動不足が解消されていたように思います。

 

小学生の頃

前述のような、クラスの人から受けた言葉は念頭に置きつつ…

  • 1人1人に合った運動負荷での運動は不可能(先生が対応しづらい)
  • みんなができる運動はできて当たり前(鉄棒の逆上がりや大縄跳びなど、できなければ放課後居残り)
  • 途中で水分補給に行けない
  • 無理な運動の強要(先生から)

 

が木暮が思い出す小学校時代の体育が嫌いだった理由です。

4つあげたうち最後の2つは、現在ではあり得ないことかもしれないし、もしかしたら私が今まで会った先生がこういう感じの人だったというだけかもしれません。

 

こんなところから、苦手意識があった体育が「嫌い」という感情で固められていきました。

 

中学〜高校の頃

中学では、運動部に所属していました。

卓球部です。なぜ入部したかというと、他の部活に比べてあまり運動量が多くなさそうに見えたからです。そこそこ多かったですが。

しかし、小学校から続けていた水泳のおかげか、よほど酷い低気圧や黄砂、花粉、運動負荷がない限りは特に発作は起きませんでした。

卓球はとても大変でしたが、毎回楽しみに練習をしていました。部活の仲間にも恵まれ、辛い運動もありましたがなんとかやっていけました。

 

体育の授業も先生が喘息のことを理解してくれて、運動負荷が強そうなものは負荷が弱いものに変えてくれ、しんどいながらも小学校の頃よりは嫌な気持ちは減りました。

 

しかし、小学校の頃の記憶が強かったため、体育(運動)を心から楽しむことはできませんでした。

 

 

高校時代になると、体育の授業の感じも「みんなができる運動はできて当たり前」という圧力が強かったため、中学校の時に持ち直しつつあった体育(運動)への苦手意識はどんどん強くなり、体育祭は毎回保健室にいました。

 

今まで中学でバドミントンをやったことがないのに、いきなりペアで試合をしたり、

テニスをやったりと運動が得意な人には良い授業だったのだと思いますが、そうじゃない人にとっては苦痛な授業でした。

 

 

大学〜現在

大学に入ると運動に関する授業はなく「運動は嫌い」という感覚は残り、大学やバイト先と自宅の往復くらいしか運動の機会はありませんでした。

卒業後も同様に運動をしたいということはありませんでしたので、ますます運動不足が加速していきました。

極め付けは、去年の緊急事態宣言(1回目)による1ヶ月間の自粛により、体重が増加。

 

現在に至っています。

 

おわりに

結局、体育が嫌いな理由は自分ができないことを強要されたり、できないことで除け者にされたことが強く残っているからだと思います。

他人と比較されたり、他人ができること・できて当たり前のことを強要されたり、自分自身の得意な部分とか、少し頑張ればできそうな運動などに目を向けることができないまま、単に「私は運動が嫌いだ」という状態から進めていなかったと思います。

しかし「リングフィットアドベンチャー」ではそんな木暮が少し気持ちが変わってきました。

 

嫌いな運動でも自分でできる範囲内でやる分には、あまり嫌な感じはしないなと思った今日この頃でした。

 

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